子供の頃、、、
偉くなりたい!
と漠然に思った人はどれくらいいるだろうか?
私も小さい頃の夢は、大統領!
なんて周りに言っていた。(笑)
今ではなんでなりたかったのだろうと不思議に思う。
本題に戻って 偉いとはどういう人を指すのだろう?
偉いという言葉と似た『利口』について調べてみた。
利口・・・賢いこと
では、利口の対義語を調べてみよう対義語は『馬鹿』である。
馬鹿・・・知能が劣っていること。
愚かなこと。
利口より馬鹿な人のほうが見つけやすいと思う人はどれくらいいるだろう?
もしかするとそれは、人の短所に目が行きがちで長所に目を向けれてないのかもしれない。
これから多くの人が思い込んでいる誤解について解き明かそう!
例えば、算数のテストで0点をとってしまったA君がいるとする。
A君は利口か馬鹿か?
答えは、、、
『利口』かも
しれないである。
馬鹿と決めつけるにはまだ早い。
なぜかというと算数以外の教科
理科、国語、社会のテストの点は100点だからだ。
どうやらA君は算数だけが苦手らしい。
皆さんはこの話を聞いてA君のことを利口と馬鹿どちらに分類するだろうか?
ここで1つだけ言えることがある。
全部学校のテストの点が0点であろうが偉くないと決めつけてはいけないということだ。
もしかすると体育は得意で運動神経が凄くいいかもしれない。
英語の科目が増えると勉強の楽しさに目覚めるかもしれない。
音楽の授業では、誰よりも綺麗に楽器を演奏できるかもしれない。
みんなは可能性に、満ち溢れている。
ただそれに本人、周りが気がついてないだけ。ただそれだけ。
子供だけでなく、大人にも当てはまる。
得意なことがないという人も、本人が気づいてないだけで何か他の人から見たら突出しているものがあるかもしれない。
例えば対人コミュニケーションが得意で誰とでも楽しく話せたり、困ってる人の悩みをしっかり受け止めて聞いてくれる聞き上手なのも1つの才能だといえる。
何かが突出してなくても何でも一通りこなせるかもしれない。それも1つの才能だ。なんでも平均、平均以上はできるといったバランス型だ。
英語が0点で数学は100点のB君
英語と数学が両方とも50点のC君
親や先生は、きっとB君の成績を気にするだろう。もしかするとB君はC君より叱られてしまうかもしれない。
合計点は同じでも、、、このように見られる可能性は大いにある。
日本人は、平均という言葉が大好きだ。人並みを好む。人と違うことを恥ずかしいと思う。よくないことだと思い込む。
実は平均という言葉には魔法のカラクリが隠されている。
例えば年収1000万円の人が100人いて、年収300万円のひとが200人いるとする。
300人全体の平均年収を出すと
約530万円。
あら不思議、平均といった1つの基準値を越える人は全体の3分の1しかいないことに気がついただろうか?平均以下の方がむしろ普通と呼べそうだ。
平均という言葉が如何に当てにならないか分かってもらえただろう。
良い悪いではないが、、、
何でもそつなくこなせるタイプもいれば1つに突出して能力を発揮できるタイプもいる。
つまり平均を勝手に引き合いに出して、その平均に無理矢理おさめようとするのは絶対に辞めて欲しい。
その人の才能を潰しかねない。
だからといって、指を加えて待っていても自分の才能が勝手に引き出されることはない。人より多く行動した人が自分の才能に気がつける。行動したけど死ぬまで、気がつけない人も当然いるだろう。
でも、行動して新しい世界を知れるのなら、その可能性にかけてみるのも悪くないと私は考える。
つまり、偉い偉くないで分類できるほどこの世界は簡単にできていない。
非常に複雑で、可能性を秘めた未来があなたを待っている。
だから色んな可能性を信じて前向きに挑戦して欲しい。時には足を引っ張ってくる人もいるだろう。しかし、そんな奴の相手をしているほど時間は多く残っていない。
自分を信じて突き進め。
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